パソコン を使った点訳のボランティアをしている私。
その体験談をお話ししたいと思います。
パソコン での点訳というものに出会ったのは、本当に突然のことでした。
何かボランティア活動をしてみたいと思っていた時に、パソコンを使っての点訳というボランティアを見つけ、試しにやってみることにしました。
パソコンを使った作業なので、少しは簡単かなと思っていたのですが、これが予想外に大変なもので基本を覚えるだけでもかなり苦労をするものだったのです。
最初は自動的に点字に変換されるので、文字を入力するだけでいいのかなと考えていただけに、こんなにも手間のかかる作業なのかと驚いてしまいました。
続けていけるのかどうか、一気に不安になりました。
それでも、昔は直接一点一点紙に点を打っていたといいますから、その時代から比べればずっと楽になったということだったので、頑張って続けていくことにしました。
点字には、漢字がありません。
そのため、たとえ短い文章でも点訳すると膨大な長さになってしまい、作業がとても大変になります。
それが、実際にパソコンでの点訳のボランティアをして感じたことです。
加えて、もし間違いがあった際にパッと見てどこが間違っているのかということがわからないため、校正するのが簡単ではありません。
ルールが分かってしまえば、それほど難しいものではないと言われますが、点字そのものに慣れないうちは、ルールを覚えることさえ一苦労です。
大変な作業だと思う一方で、目の見えない人たちは、自分よりもずっと大変な環境で生活しているわけですから、それから比べれば点訳の作業はどれほど楽なことだろうかとも感じています。
目の見えない人からすれば、仮に目が見えるのであれば点訳の作業をすることぐらい、何の苦はなくいくらでもできるのではないかと思ったのです。
そのように考えれば、大変な作業であっても頑張ろうという気になって、続けていく気力が湧いてきました。
それでも最初にうちは、モチベーションの維持をするのがなかなか大変でした。
でも、自分が点訳したものを目の見えない方が読んでくれた時は、パソコンでの点訳のボランティアをして本当に良かったと感じました。
目の見えない人が自分が行った点訳を通じて、手で文章を読んでそれを楽しんでもらえたという事で人の役に立っていると実感して、感動したのです。
自分にできることはほんの些細なことで、どれだけの人に貢献をすることができているのかわかりません。
それでも僅かな人数であっても、その人たちに対して何かを伝えることができ、それで感謝をされると嬉しいものです。
点訳の作業は今でも続けていて、多少慣れたとはいってもやはり大変な部分は多いです。
とはいえ、点訳のボランティアを始めたばかりの頃とは違い、点訳したものを手にとってくれた人が喜んでいる姿を思い描きながら、今ではやりがいを持って作業をしています。
様々な本や資料などは、最初から目の見えない人が読める状態にはなっていません。
目からの情報を得られない人たち向けとされている録音図書なども数に限りがあります。
普通の文字で書かれている読み物も点訳をすれば、目の見えない人も読むことができます。
たとえば、新聞が読めなくても、その日のニュースはテレビの副音声やラジオなどでも知ることができるでしょう。
でも、特に『読書』ということに関しては、目が見えないのを理由に、読書の楽しさを味わうことを諦めてしまっている人も多いのではないでしょうか。
目の見えない人にとって、このようなことは日常茶飯事でしょう。
世の中に出回っている本がすべて点訳されているわけではありませんし、ピンポイントで読みたいと思った本が点訳されている率も、それほど高くはないでしょう。
そうなれば、もし私だったらその時点で、読書意欲そのものが失せてしまいます。
点訳の作業が大変ということは身に染みて分かりましたが、目が見えない人も読書を楽しめるようにするには、より多くのパソコン点訳のボランティアが必要です。
ボランティアの人数が絶対的に不足している現在。
そんな中で、まずは点字に一人でも多くの人に少しでも興味を持ってもらい、点訳の重要性について分かってもらえるような活動をしていくことも、私たち点訳ボランティアをしている者の大切な役割だと考えています。
私の体験談を読んでいただき、点訳というものがあるんだ……と、知るきっかけになってくれたら嬉しく思います。
パソコンを使うなら簡単かも……と思い、始めた点訳のボランティア。
そう甘くはありませんでした。