お姑さんの介護ももちろん大変ですが、また違った意味で実の母の介護は大変です。
特に精神面で、いつも自分と格闘していました。
実母を約5年間在宅介護した際の介護の悩みやストレス発散方法についての体験談です。
母は娘の私が言うのもおかしいですが、おしゃれでモデルさんみたいにスタイルも良く、顔立ちも気品がある綺麗さを持っている人でした。
だからこそ、その母が認知症と診断されたときは大きなショックを受けました。
認知症と診断されてからも、母は眉毛を一生懸命描いていましたし、口紅もしっかり塗っていましたが、それでもだんだん母が母でなくなっていくように感じました。
認知症と認めたくない……
話しをすれば思い出してくれる……
説明すればわかってくれるはず……
いつもそんな気持ちで母と接していたので、喧嘩ばかりしていました。
些細な事が、凄く大きな喧嘩になっている事がしょっちゅうでした。
母はすぐ忘れてしまっていましたが、私は今でもしっかり覚えています。
介護の生活の中でしんどかった事は山ほどありますが一番心が折れそうになったのは、泥棒呼ばわりされた事でした。
母がお札の入った銀行の封筒を空っぽだと思ってゴミ箱に捨ててしまい、そのことを知らなかった私は翌朝そのままゴミに出してしまっていたのです。
それ以来、病院の待合室などで突然スイッチが入ったように大きな声で「お前は私の金、全部かっぱらった。娘のくせに!酷い娘だ!金返してよ!」と言うように……。
周りの人は、みんな私の顔を覗き込むようにして見ていました。
病院に付き添うのが恐怖でしたが、とにかく我慢しました。
このことがあってから、お金の管理は私がするようになりました。
母がデイサービスやショートステイに行っている時、私はストレス発散に時間を費やしました。
レクダンスはもう35年もしていました。
でも、介護でストレスが溜まって夜に母が眠ってから甘いものを食べてしまい凄く太ってきたので、もっと汗をかかなくては駄目だと思い、ラテン系のダンスに挑戦しました。
お気に入りの水筒とタオル持参でダンスレッスンに通いました。
それが、とても夢中になったのです!
ダンスをしている時は、別世界にいるようでした。
また、一人カラオケも介護のストレス発散方法の一つでした。
5時間近く大きな声で好きな歌を歌っていると、時々ふと涙してしまうことも……。
ファストフード店に入り、好きなドーナッツと珈琲をいただきながら、赤川次郎さんの小説三毛猫ホームズか三姉妹探偵団シリーズを読むことも楽しみでした。
赤川次郎さんは、好きな作家の一人です。
没頭して小説の中に引き込まれ、気づけば2時間以上経っていたことも少なくありません。
そうしているうちに、お店のスタッフさんとも仲良くなりました。
そのほか、親友とランチをしながら、介護の愚痴を言いまくりました。
夜お礼メールをすると、いつも「機関銃みたいに話していたものね」と返事がきて、思わず自分でも笑ってしまいました。
外出できない時は、介護の愚痴を言えるインターネット上のサイトに助けられていました。
サイトを見ると、沢山の人が介護の悩みを抱えていて、自分一人だけが辛いわけじゃないと随分気持ちが救われたものです。
介護の愚痴サイト以外は、現実に戻る時が切なかったですが、少しでも母に優しく出来るようにまた頑張ろう!と思いながら帰宅し、母が戻るのを待っていました。
実母88歳にて永眠しました。
5年弱の在宅介護でした。納得のできる介護って……?