訪問介護の仕事を通して、様々なことを学びました。
そんな私の体験談を紹介しましょう。
訪問介護の仕事に就いたのは、私が24歳の時でした。
それまでは2歳になる娘を保育園に預けながら、有料老人ホームで働いていたのですが、職場の人間関係に嫌気がさし、訪問介護事業所の面接を受けました。
無事に面接に受かり、訪問介護員の研修が始まりました。
施設介護の経験しかなかった私は、会社から渡された資料を熟読しました。
そして、先輩介護員の指導の下、しっかりと在宅介護のルールや訪問介護という仕事について学んだのです。
それまで訪問介護員(ヘルパー)の事を半分「家政婦さん」と思い込んでいました。
ところが、実際は自宅訪問しながら安否確認したり、身辺変化の報告を受けたり、介護度が低下していないかを見極めるなど、大切な仕事を担っていることを初めて知りました。
いざ訪問介護の仕事を始めて、自分がいかにちゃんとした家事をやっていなかったかを痛感しました。
掃除、洗濯、調理、買い物などの「生活援助」または「生活介護」という業務の際、同行の先輩介護員から掃除の仕方で何回も注意を受けたのです。
「掃除は上からが基本なので、まずはハタキがけから」
「ふすまのキワのホコリがたまりやすいところなどは、掃除機の隙間ノズルを必ず使う」
「水を使いすぎないように注意する」
など色々な注意を受け、私の頭の中は真っ白になりました。
一通りの仕事を終えて介護記録を記入していると、利用者さんが「みんな最初は初めてなんやで。懲りずにまた来てな」と慰めの言葉をかけてくれました。
そんな中、どのヘルパーさんも続かないというMさんの生活援助が私に任されました。
Mさんは82歳。
元々は掃除婦として働いていた女性のため、掃除の仕方に対するこだわりが強すぎて、自分で訪問介護を希望したものの、長続きするヘルパーがいないとのことでした。
そのような方の自宅掃除の仕事が、新人の私にできるような気は微塵もしませんでしたが行かなければなりません。 初めての訪問時は、とても緊張していたことを覚えています。
Mさんはとても小柄ですが、杖をついて歩く姿にオーラが漂っています。
ビシっと着物を着込んで出迎えてくれました。
すると、私を見るなり「年寄りヘルパーは仕事にならんから、若い者を連れてきたな」と笑いながら言いました。
「さすがにヒヨコにムチは打てんわ」と言って、悪い足をおさえながらも、ハタキがけや掃除機のかけ方・窓ふきなどを丁寧に教えてくれたのです。
Mさんの教えがあったおかげで、どの家に行っても恥ずかしくない家事援助ができるようになりました。今ではいい思い出です。
訪問介護の仕事は、利用者さんの家のルールによって介護方法が違っています。
掃除の仕方・料理の味付け・洗濯物の干し方など、それぞれやり方が異なるのです。
家は利用者さんにとって「城」であり、我々訪問介護員は最初「よそ者」というポジションからスタートします。
施設介護との大きな違いは、まさにその点にあるのかもしれません。
挨拶から介護記録の記入に至るまで、訪問介護の仕事の流れが記載されたものを「介護手順書」といいます。
その介護手順書には、あらかじめその家で何をしなくてはいけないかが書かれていて、その訪問先に他の訪問介護員が急にピンチヒッターで行かなくてはならなくなった場合でも対応ができるようになっています。
ですが、介護手順書があることで役に立つのは家の見取り図くらいで、実際に必要な業務内容は利用者さんに連絡し、確認を取りながら決めていくことがほとんどでした。
私が、まだ訪問介護の仕事に慣れていない頃から、週3回訪問していたSさん宅。
Sさんは65歳の時に脳梗塞で右半身まひになり、少し拘縮がありました。
ほぼ毎日朝夕にヘルパーの派遣があり、コミュニケーションに問題はないのですが、とてもきれい好きな上に、ヘルパーの態度や言葉遣いなどに対し神経質で、熟練ヘルパーさんも手を焼く利用者さんでした。
Sさん宅に訪問するようになって半年くらい経った頃、当時2歳の私の長女が風邪をこじらせ、肺炎を起こし入院することになりました。
他にも私が担当していた利用者さんはいましたが、中でも週3回行っていたSさんの訪問介護を私が休みの間2週間も誰が行うんだろうと心配になりました。
Sさんは神経質で初めての介護員が嫌いですから、きっと顔見知りの介護員が担当になるのだろう思っていたのですが……。
私が仕事に復帰しSさんに会えた日、「あんたが休むから、私は毎日先生やらなあかんかった。ホンマ疲れた」と言われたのです。
どうやら調整がうまくいかず、ほぼ毎日違う人が訪問してきていたようで、それはSさんにとって初めての経験でした。
Sさんはこうも言っていました。
「私がどれだけ尖っとるか、どれだけ細かいか、よう分かった」と。
介護手順書をもとにヘルパーはSさんの訪問介護の仕事全般(排泄・掃除・調理)を頑張っていたのですが、誰もSさんの思い通りに作業してくれる人はいなかったといいます。
それでSさんは自分の神経質さに気づいたんだそう。
手順書があっても、お互いの意思疎通までは出来なかったためにヘルパーと利用者の間には少し妙な空気が流れ、雰囲気があまりよくなかったようです。
「私も誰にでもわかりやすくビシっと注意できるようにならなね」と、Sさんは笑っていました。
今は少なくなりましたが、私が訪問介護員として勤務し始めた2005年頃には、訪問介護の仕事内容の中で『生活援助1時間、掃除のみ』というものがありました。
当時20代前半だった私は、「え?掃除にそんなに時間いる?めっちゃ時間余るやん」と思いました。
というのも、自分の家を掃除するのに、20分くらいしかかけていなかったからです。
Yさんは72歳女性。
呼吸器の病気を長年患っており、在宅酸素療法を行っていました。
買い物や調理はかろうじて出来るものの、掃除だけは危険という事で私が派遣されることに。
最初は「掃除だけで1時間とれるよ、ラッキーやね」と他の訪問介護員に言われましたが、1時間もかかるということは、相当綺麗好きなんじゃないだろうかと不安でした。
訪問介護の仕事の中で、掃除には当時まだ自信が無かったため、そう感じたのです。
挨拶と自己紹介を終えるとすぐに、掃除に取り掛かりました。
家は平屋の一軒家で、玄関、廊下、LDK、寝室、浴室、トイレと全域の掃除。
マンション住まいしかしたことのない私には、結構な肉体労働だったことを覚えています。
Yさん宅では、次のような手順で掃除を行いました。
慣れるまでは、隅々まで掃除機がけが出来ていない、雑巾の絞りがあまい、風呂の鏡が光っていない、トイレットペーパーの折り方がきたないなど、何回もYさんから注意を受けました。
介護の仕事とはおおよそ関係ないことばかりなので、「こんなことするために介護職選んだんだっけ?」と掃除中にふと我に返ったりもしました。
ですが、いつも最後にYさんはこう言ってくれました。
「ごめんな、わたし細かいやろ。でも懲りんと来週も来てな。」と。
この淡々と放つ一言のおかげで、Yさんがガンで入院されるまでの8ヶ月間、私は訪問介護員として「掃除1時間」を極める事が出来、最終的にはどの訪問先でも通用する掃除テクニックを身につけていました。
毎週掃除をしに自宅に伺わせてもらっていると、利用者さんの性格や生活風景が見て取れます。
汚さないようきれいに家を使っている方、お仏壇をとても大切にしている方、お友達が多く訪問する方、安売りがあるとついつい買ってしまう方など……。
前回の訪問時との室内の違いを見比べると、いろんなことがわかって面白くもあります。
中でもYさんはとても女性らしい方で、いつもお花を買ってダイニングルームに生けていました。
天国でもきっとお花を愛でていらっしゃることでしょう。
訪問介護の仕事をすることで色んな人とかかわり、多くのことを学びました。