昔はノイローゼと言われていた不安神経症ですが、現在では不安障害と呼ばれ、症状も多岐にわたります。 私が経験した様々な症状と、そこから学んだことをお話します。
中学校で授業を受けていたある時、突然不可解な感覚に襲われました。それは「自分は正しく筆記具を持ち、教科書やノートを適切に机に配置しているか」という不安です。その観念が一度頭に浮かんで以来、授業中は常に自分の手の動作を注意深くチェックし、机の上の物の配置を細かく直すことに執着し、消しゴム一つ動かすにも、やがてロボットのような動きをするようになり、肩こりや頭痛にも悩みました。この苦痛な症状は夏休みを境に治まりましたが、思えばこれが不安神経症の最初の兆候だったのかもしれません。
ある時、コンビニのカウンターで何気なく宅配便の伝票に住所などを書こうとしたら、突然手がありえない程震え出し、店員さんの視線を気にすればするほど、震えは酷くなる一方……。なんとか蛇の張った様な字で書ききったものの、それ以来、人前で字を書くことが怖くなってしまいました。
強迫観念も強くなりました。なんと、コンタクトレンズが合わないことが気になって仕方がないのです。コンタクトレンズは最初に違和感を覚えても徐々に慣れて生活できるようになるものです。ですが、ソフトもハードもいつも目に貼り付いている様な気がして「眼科医の腕が悪い」「メーカーが悪い」などと、色々なクリニックを転々としました。今思えば本当に馬鹿馬鹿しい悩みです。そんなに気になるなら眼鏡にすればいいのに。でも、他人の視線が気になって眼鏡にするのが嫌で、一日中コンタクトのことばかり考えてしまい、酷い時には夜も眠れず疲れきってしまいました。
今も、様々な些細なことを延々と気にする症状は時々起こります。何百円の安い買い物をした後に「今買ったものは本当に必要なものだったのか」と悩み、徹夜で商品に関する情報をネットで検索したり……。誰もが経験する不安であっても、その程度が深く強いのです。
不安神経症の症状は病院で抗不安薬を処方してもらい、カウンセリングで軽快しましたが、この病気と付き合えるようになった一番のきっかけは、大学でたまたま「森田療法」の考え方を学んだことでした。森田療法では基本的に神経質を悪いものとは捉えず、より良く生きたいという欲求、例えば人に良い印象を与えたい、お金は効率良く使いたいという思いから起こるもので、向上発展の意志が強いことの現れであると考えます。「あるがまま」を尊重し、自然現象である感情はコントロールできるものではなく、放っておけば自然に弱まり消えるのだから、その感情のままに生活していれば良いと。そこには不安を無理矢理消そうとする強引さではなく、コントロールを失っている自分を許すことの大事さが垣間見えます。良い意味での「諦め」を持つことで、生きることは少し楽になるのだと思います。
30代女性。広汎性発達障害の2次障害としてうつ病を発症し、療養を続けながら自分なりの社会復帰と自立を目指しています。