私は2歳半の時に、保健所で発達障害と診断されました。
当初の診断では「普通幼稚園に行けるかわからない、小3で知能が止まる」というものでした。
しかし、小4まで療育・訓練には通っていたものの、幼稚園から高校まで普通に進学しました。
更に大阪芸大に進学し、親元の福岡を離れ大阪で一人暮らしを始めるなど、発達障害で悩むことはありませんでした。
本当の発達障害との戦いは、大学を卒業してからでした。
大学最後の春休みで車の免許を取得するべく、免許合宿に通った時のことです。
運転に慣れるまで時間がかかり、本来なら2週間の合宿期間でしたが、仮免3回に卒検2回と結局3週間を費やしました。
ところが、この体験はほんの序章に過ぎなかったのです……。
社会人になってから新卒で入った会社を1ヶ月で解雇されて以降、8度も転職繰り返しました。
営業やデザイン、経理などの事務職、プレス工、交通誘導のガードマン、IT、広報紙の記者と様々な仕事を経験しました。
この間は障害者手帳の申請を行っておらず、なおかつ大阪で一人暮らしを続けたかった私は、社会に出ることをあきらめずネット求人や「クローズ」で応募し就職活動を続けていきました。
その一方で、周りの人のように普通に働けないことや発達障害を持ってに生まれた自分の運命を呪い、絶望することもありました。
しかし、私はある時、これまでの人生を振り返りWordで文章や図でまとめる作業を行いました。
過去の成功・失敗の体験談を一つ一つ思い出しながら、分析を行いました。
特に仕事面においての失敗を分析しながら、何故そういうことが起きたのか?
そうしたケースが起きた場合、どう対応すれば良いのかを整理しました。
これまでの人生を振り返ることで、自分の特徴や得意な分野も理解する事ができました。
一言でいえば、私はとても「気持ちが熱い人間」です。
大学では映画を学んできたのですが、映画の脚本・監督を務めたり、サークルの展示のリーダを務めたりもしていた経験から「熱い気持ち」と上手に付き合うことが大事だということがわかりました。
他にも本を読んだり、文章を書くこと、色んな人とお話しをすることが大好きです。
こうした自分の良い部分を生かそうと思い、大阪で最後に働いたのが老人クラブの広報紙の取材スタッフとしてでした。
北は長野から南は愛媛まで、老人クラブのグラウンドゴルフやカラオケなどの各種行事に出向き、取材を行い写真を撮ったり記事を書いたりしました。
取材した高齢者の方に大変可愛がって頂き、楽しく仕事をすることができました。
今年3月末、家庭の事情で福岡に戻り障害者手帳と障害年金の申請を行い、現在は就労支援A型に通う日々ですが、この経験を更に磨いていこうと決意しています。
「発達障害と共に生きる人生」とは「自分探しの旅」のようなものだと思います。
その旅路の果てに「最高の自分」との出会いが待っていることを期待し、胸を弾ませながらこれからも旅を続けていきたいと思います。
2歳半で発達障害の診断を受け、この障害と向き合って生きてきました。
その渦中、様々な困難がありました。