昨年、期間限定で人生で初めての生活保護を受給しました。最初は抵抗がありましたが、受給して良かったです。
ある夏の日、家主からの1本の電話が始まりで判明した驚愕の事実が!!
当時、私は知人と同居していたのですが、その知人が専用口座に入金していた生活費としてのお金をすべて使い果たしてしまったのです。そのことが判明し、警察へ届出を出したりなど本当にスッタモンダしました。
良くないことが重なる時は重なるもので、当時の仕事も色々と職場でゴタゴタがあり、本当に精神的にも疲れきっていました。そして、無職になってしまい、本当の「辟易」というものを体感しました。
考え抜いた末、生活保護を受ける事にしました!!とはいえ、最初は当然、かなり抵抗がありました。本当に申請に行くまでは4ヶ月程、悩みながら試行錯誤の中で節約生活をしましたが、忘れもしないクリスマス直前、風邪をこじらせて寝込んでいた時に、意識が朦朧とした途端に頭に「ココで死んでたまるか!」という言葉が浮かびました。
色んな事情があり、頼れる家族もいない単身の自分。このまま死んでも、「身元不明死体の調査・処理」へと国民の血税は使用されます。人から教わった事や言ってもらえた事などを色々と思い出して、悩みました。人間が「悩む」という行動をする時は、「その目の前にある結果を受け入れられない」からだという事が本当によく分かりました。
血税を使わせてもらうのであれば、「生命の確保と社会復帰に!」との思いに至りました。その数日後、管轄の役所で生活保護の申請・手続きを行いました。
担当の人は、鳩が豆鉄砲を喰らったかのように、「3ヶ月限定での受給を望んでいます」という私の言葉を聞いていました。自ら望んで期間限定での受給にしたのは、早く仕事を見つけ、生活保護を受給しながらの暮らしから脱したかったからです。実際の受給生活は、2ヶ月間のみでした。
あれから1年が経過しました。現在は、某大手企業の第一線で顧客対応させて頂いています。嬉しいことに、「顧客満足度120%対応」の連絡がお客様より上層部宛に届いたりもしていて、とても充実した日々を過ごしています。
私にとって初めての生活保護受給は、命懸けでした。だからこそ、そこから何としてでも脱出しなければと頑張れる自分が存在しました。
生活保護の受給は、きっと何も特別な事ではありません。でも、それは「決死の覚悟」に似ています。最小限の甘えと最大限の努力は、誰かが見てくれていてくれるのです。自分自身ではなく、その誰かが評価してくれた時に道は開かれます。「生活保護」はその道に通じるドアを開く鍵に過ぎないと、私は思います。ドアが開かれれば、あとは走り続けるだけです。ただ素直に努力すれば良いのですから、恐れることは何もありません。
一般企業の会社員として勤務。
たまに、コミュニケーション心理学や話し方の講習などを行っています。