実母は若い頃から私たち子供に迷惑をかけたくないと言って、健康には気をつけていたようです。
多趣味だった母がしていた健康作りを紹介します。
母は、油絵・水彩画・書道など多趣味で、頭がボケないようにと特に油絵はいつも一生懸命描いてました。
ある時、山の方へスケッチをしに、水筒やリュックを背負った孫達と行きました。
ところが、途中で道に迷ってしまい……
そんなピンチの時にも母は孫達を励ましながら、子供達が疲れて休んでるところをスケッチしたのです。その後、孫達と一緒に無事に帰宅した母は、山で描いたスケッチを油絵にしてくれました。
油絵もそうですが、母が孫達とともに無事に帰ってきてくれたのが何より嬉しかったです。
毎日夕に方なると、少し早歩きの散歩を日課にしていた母。
散歩に出かけたついでに、3人の孫達におやつをよく買ったきてくれました。
学校が長い休みになると、孫達も一緒に散歩に連れて行ってくれた事もありました。
認知症がだいぶ進んでからは、家がわからなくなって交番などから電話を貰って迎えに行ったことも……。
そんなこともあって、私は仕事を辞め、毎日一回は母と一緒に散歩に出かけるようになりました。散歩中は「花が綺麗だね」「あそこのワンちゃん可愛いね」などと色んな話をしたものです。
でも、認知症のせいで散歩に行ったことを忘れてしまい、何回も行こうとしたのを止めるのが大変でした。
そんな散歩を母が亡くなる三ヶ月前まで続けましたが、だんだん疲れるのも早くなって歩く距離も短くなり、亡くなる年には家の周りをひと回りするくらいでした。
その頃の散歩の必需品は杖。実父が生前使用していた杖を母が使いやすいようにと、主人がリサイズくれたものを転倒防止に持ち歩いていました。
その他、母にはデイサービス週3回行ってもらってました。
母が留守の時間を利用して、私もストレス発散を兼ねて若い頃からやってたレクダンスに通いました。
ウォーミングアップでする体操の中で母が出来そうなものを私なりに考えて、母にも教えました。
朝は時間がないので、夜眠る前に私が最初にお手本を見せながら、母に真似をしてもらい5種類ほどの体操を10回くらい、さらにベッドに寝転がったまま出来る3種類ほどの体操も5回ずつほぼ毎晩やりました。
一生懸命に私と同じ動きをしようと頑張る母を見ていて、ちょっとかわいいな~と思った事を思い出します。
母は、自分が主婦業をしていた頃から日々の食事にも気を遣っていました。
毎日欠かさずに食べていたのは、納豆とヨーグルト。
家事全般を娘の私がするようになってからも、その習慣は変わりませんでした。
次第に食事した事も忘れてしまうようになったため、対策として私が用意したのはホワイトボードです。
そこに『朝食』『昼食』『夕食』と書き、食事が終わるたびに“食べたシール”を母の目の前で貼りました。 そうして「食べたんだよ。食べたシール貼るからね!はい、貼ったよ!」と、教えたものです。
母は父が亡くなってから一層油絵などの趣味に力が入り、「描いてると変な事を考えないでいいんだわ」と夢中になっていました。
それなのに、82歳くらいの時、あんなに好きだった油絵や書道をパッタリと止めてしまったのです。 準備や片付けが面倒という理由からでした。
高齢のせいもあったのかもしれませんが、当時は私もまだ仕事をしていたので、手伝う余裕などありませんでした。
それ以来、あっという間に認知症が進んだような気がします。
やっぱり指先を使う事は大事なんだとつくづく感じました。
とても大変な日々でしたが、介護を通じて色んな事を母から教えてもらったように思います。
去年の夏、実母88歳にて永眠しました。5年弱の在宅介護でした。納得のできる介護って……?