注意欠陥多動性障害のある息子が小学校に入学した時、私は不安でいっぱいでした。
というのも、幼稚園の時に息子のことで先生ともめた経験があったからです。
事前の就学時健診(健康診断)の時でさえ、眼科健診が行えず「再検査」という結果になってしまいました……。
持ち物にはすべて名前を記入して、準備万端で迎えた入学式。
当日、時間にこだわりのある息子は早めに小学校に向かいました。
同じクラスにクラスのお友達を確認すると、仲の良い子がいて一安心しました。
入学式が始まった途端、緊張が抜けてしまったのか、息子は一気におねむ状態に……。
倒れるのでは思うほどの爆睡でした。
朝の通学は、集団登校で長男もいるので安心です。
問題は計画帳……。
明日の予定と持ち物、宿題を書いてくるのですが、日付を書かないていないため、どれが明日の予定かわからない状態になっています。
困り果てて、新しい計画帳を買うことにしました。
そして、私と一緒に計画を確認したら赤ペンで×をつけ、×をついていないのが新しい予定とすることに。
物事の順序がよく理解できない息子は、相当長い間新しい予定にも×をつけてしまっていました。
また時間にはこだわりがあるのに、物にこだわりがありません。
学校にいくと、ランドセルに入っている教科書などを机の中に入れます。
ところが、家に帰ってきてランドセルの中を見ると、何も入っていません。
学校の机の中に入れっぱなしにしてくるのです。
親子で小学校に戻り、机の中にある教科書を持ち帰ることもたびたびありました。
そのたびに担任の先生が笑ってくださり、息子が下校する前に忘れ物がないか一声かけてくれることになりました。
それ以来、教科書を机の中に置き忘れて帰ってくることがなくなり、ホッとしました。
小学校に入学した当初は、まだ息子が注意欠陥多動性障害を持っていることがわかりませんでした。
毎日の生活の中で、ずっと息子に対する違和感は持ち続けていました。
当時はまだスクールカウンセラーもいなく、保健の先生に聞いてもよくわからず……。
「なぜ、うちの息子はこんなに手がかかるのだろう」「何か対策はないか」と毎日考えていました。
色々な相談機関に行ってもなかなかわからず、息子自身も大変だったと思います。
早くに専門の先生と出会うことができていたら、その後の生活も違ったはずですから。
小学校からは、息子が他の子ともめたなどの電話が頻繁にかかってきていました。
ただ小学校の時は、担任の先生がしっかり対応してくださったので、何かトラブルが起きてもいつまでも引きずることもなく過ごせたのだと思います。
私は毎日息子が小学校で誰かと喧嘩しないか心配し、ヒヤヒヤしながら過ごしていましたが、息子は障害の特性上、一人も平気なため、学校嫌いにならなかった点は良かったです。
20歳になった注意欠陥多動性障害の息子がいる52歳の主婦です。