私の祖母は今年94歳。腰が曲がり、歩く時は手押し車が必要ですが、毎日元気に過ごしています。そんな祖母の「生活保護」に関わる話しをさせて頂きます。
祖母が生活保護を受給したのは、今から13年程前の事。当時、息子と孫と一緒に住んでいた祖母でしたが、不況の煽りをくらって会社をリストラされた三男が突然、自分の子供を残して行方不明になってしまったのです。
当時、まだ小学生だった子供。祖母にとっては、可愛い孫です。80歳を過ぎた祖母が面倒を見なければならなくなったのですが、高齢の祖母に収入があるわけもなく、祖父が残した少しの遺族年金と貯金で生活をしのいでいました。
しかし、そんな生活は長く続くはずがなく、次第に電気・ガス・電話の支払いが遅れだし、電気やガスが度々止められるようになりました。とは言え、大切な孫を施設に入れる事も出来ず、途方に暮れた祖母を見かねた周囲は、生活保護を受けるようアドバイスしました。初めは「生活保護」を受けることに抵抗があった祖母でしたが、「孫を育てる為」に生活保護を受ける事を決心しました。
生活保護の手続きをするにあたり、経済状況や家族関係を聞き取り調査が始まります。貯蓄金額や保険関係(もちろん学資保険も)の有無が確認されます。
更に、家族関係では「祖母に対して、どのような援助をどのように出来るか」を聞かれました。祖母には長女と長男、次男、三男の4人の子供がいました。しかし、当時の状況として嫁に行っている長女は既に60歳を過ぎた年金暮らし、長男は30年程前に行方不明、次男も中小企業で働く工員、そして子供を置いて行方知れずになった三男。 区役所の担当員は「毎月幾らかでもお金を援助出来ないか」といいましたが、みんな自分の生活だけで精一杯の状態でしたので、出来ない旨を書面で提出させられました。
また、行方不明の三男の住民登録が残っていると都合が悪いため、祖母と孫だけにするよう言われました。しかし、祖母は「もし息子に万が一何かがあったら警察から連絡がくるかもしれない」といい、息子を住所不定にすることを嫌がりました。子供を置いて出て行ってしまった情けない父親なのかもしれませんが、祖母にとっては出来の悪い息子でも心配だったのかもしれません。
生活保護を受けるようになり、祖母の生活も安定しました。ライフラインを止められることはなくなり、孫の就学の心配もなくなりました。そして、中学、高校へと進学した孫の為に祖母は毎日お弁当を作り続けました。
毎日、学校へ通う孫を見ながら祖母は「孫が高校を卒業して、一人立ち出来るようになるまで生きていなくちゃ。」と、よく言っていたものです。
それから8年……孫は無事高校を卒業し、今では祖母のもとを離れ、生活が出来るようになりました。この時、90歳を目前にしていた祖母。祖母にとって「生活保護」を受けるのは自分のためではなく、残された孫を大人になるまで育てる為の手段だったのかもしれません。
現在、一人暮らしをしている祖母。生活保護の給付金は減額されてしまいましたが、今は、自分の為の生活として慎ましやかに暮らしています。週3回のデイサービスと週2回の訪問ヘルパーさんとのおしゃべりを楽しみにしているようです。
私は、記事内に出てくる祖母の初めての孫。もうすぐ50歳に手が届こうとしています。現在、母と一緒に祖母の手助けをしています。