母を介護する私も、精神的に限界ギリギリのところまできていました。そこで、母の主治医に相談し、介護認定を受けることにしました。
母85歳、私51歳の時、私は病院で重度の頚椎症性脊髄症と診断されました。介護のストレスにより悪化したようです。歩くことも難しい状態になり、53歳で手術を受けました。正直その時は麻酔で意識が薄れていく中、もう目が開かなくていいとさえ思いました。介護から逃げたい……その思いしかありませんでした。その病気の後遺症で指が曲がらず、障害者となりました。
このような事情もあり、私自身決心がついて母の介護認定を受けるため、ようやく動き出すことが出来ました。
認知症を患う母の介護認定から施設選びまでのことについて、お話します。
母の介護認定を受けるために長年の主治医に相談し、医者という立場からも母に介護認定を受けるようにと話をして頂きました。
脳のレントゲンをとり、心療内科に通い老人性痴呆症と診断が下りました。認知症の審査でも、母を見極めるのは非常に難しいですが、審査員の方はきっちりと見極め「斑認知症」
今度はデイサービス利用です。母は車に乗ることができないため、家の近くの施設を周り、自転車での送迎を引き受けてくださるようにお願いしました。1件だけこの条件をのんでくださいました。その施設が引き受けてくださらなかったら、母は介護難民に陥っていたかもしれません。
母には近隣2ヶ所の施設体験をしてもらったうえで、「送迎付きのカラオケ&昼食&お風呂付き」など、仲のいい友人たちと楽しい時間を過ごせるイベントがある施設を選びました。
また、孫や子供に接しているような感覚が得られて笑顔になれるよう、若いスタッフがいるヘルパー事業所を選ぶことも心がけた点です。
その他、スタッフとの信頼関係を築き、誘導してもらうことで母自らが行動しやすくすること、外出先から帰ったらうがい・手洗いを徹底的に行う、インフルエンザの予防接種を毎年受けること、ショートステイを利用して介護者の休日を作ることなども母の介護で工夫したことです。ショートステイ利用時には、「必ず家に戻れるからね」と言い聞かせることが大事だと思います。
次は、ケアプラン作成から施設入所までのことについて、お話します。
母のケアプランは、私自らが作成しました。半年計画で徐々に増やし、スタッフに慣れてもらって、施設=エンジョイできる場所と認識させました。そして、定期的に預けていた一泊二日のショートステイも少しずつ増やしていきました。
不満や不安なことがあれば、必ず施設側に意見します。納得いくまで説明もしていただきます。
大学で学んでいても、田舎ではなかなかネットワークはできていません。なので、自ら動いて介護ネットワークを作り上げていきました。
特養・老健・グループホーム・有料老人ホームと費用のこととかも勉強しました。 母にとっては、慣れている施設ですが、財政的には厳しく特養も視野に入れ始めました。施設側を知るために、特養のショートステイも毎月一度利用し、顔を覚えていただけるようにしました。
その頃、近所で火災が起き、自宅周りはやはり母と似たような世代の方々ばかりいました。もし母と避難することになったら……と、不安な日々を過ごしていた折、グループホームから声をかけていただき、入所することができました。
私の中では、まだ早いのでは?費用はどうする?と悪戦苦闘しましたが、母が穏やかに笑顔で暮らせる場所として最高の場所であり、また家から徒歩で通える場所でもありました。母を説得するにあたり、施設ではなく、“離れ”と思うことで私の考えも変わりました。母も納得してくれました。運がいいのか、母と気の合う方々ばかりで、いつ覗いても明るく楽しく笑顔でいます。
でも、人生何が起きるか分からないですね。入所して2週間経った頃、母の悪性癌が見つかり、急遽入院して手術することになりました。やっと母が入所し、自分の体の体調を整えるはずが、どん底に突き落とされました。誰がこんな日が来ると想像したことでしょうか?検査も定期的に受けていたのに……と、医療に対しての不満が募ります。そして、不安だったのは、もし母の体調が戻らず2カ月以上入院となれば退所しなくてはならないことです。ですが、3週間で母は施設に舞い戻り、元気に笑顔で暮らしています。今、私は通い介護を続けています。
母の介護に携わり、今年母は元気に90歳卒寿を迎えることができました。介護を16年続けて思うこと、介護ネットワークは自ら作るものです。まだまだ続く通い介護、母100歳を目指して、私は費用の不安をどう解消するかという課題が残っています。
母と私、お互いに辛い時期を経て、母は無事卒寿を迎えました。