特別児童扶養手当は、精神や身体に障害を持つ子供を養育している父母等に支給されるものです。
その対象には、自閉症などの発達障害がある子供の親も含まれます。
私自身も含めた発達障害児を持つ親の特別児童扶養手当の受給体験談を紹介しましょう。
特別児童扶養手当を受給するまでの体験談をお話します。
3歳前に発達障害の一つ・自閉症スペクトラムと診断された息子は、小さい頃は自傷行為やパニック、癇癪を繰り返す子でした。
常に気が抜けず、緊張を強いられていました。
私にとって初めての子でしたから、子育てが大変なことはわかっていました。
でも、誰と比べたわけでもないのですが、息子は産まれた直後から様子がおかしかったのです。
一般的に乳児は寝てばかりいて、赤ちゃんは寝るのが『仕事』と言っていいほど。
なのに、息子は毎日朝方四時まで寝付かず、昼間もあまり眠りませんでした。
寝ないばかりではなく、常にぐずっている様子……。
私は毎日寝不足でフラフラしていました。
1歳過ぎて、息子の様子にますます異変が見られるようになりました。
保育園に預けていたのですが、みんなと同じ行動を取れず、癇癪が増え、時にパニックを起こし、頭を打ち付けるといった自傷行為が始まりました。
そして、1歳9ヶ月の検診で、言葉の遅れを指摘されました。
悩んだ末、保育園の先生に「発達の検査を受けようと思う」と切り出すと、「お母さんからそう言い出すのを待っていました」と言われたのです。
このとき初めて、先生方も息子に障害があるのではと感じていたのだと気付き、ショックを受けました。
検査の結果、息子に下された診断は「自閉症スペクトラム 中等度」というものでした。
覚悟はしていたものの診断を受けたときは、涙が止まらなくなって家へ帰ることができず、スーパーの屋上にある駐車場で母に電話して大泣きしたことを覚えています。
ひと泣きしたら不思議なもので、息子の障害を受け入れて子育てしていく覚悟が決まりました。
健常児として産んであげられなかったのなら、今からできることはすべてやっていこうと思いました。
それからは、良かれと思うことはすべてやってみました。
療育や作業療法に通わせたり、絵カードを作って保育園にスケジュールボードを設置させてもらったりもしました。
そんな中、担当医師から特別児童扶養手当の申請を勧められ、早速申請しました。
同じ発達障害でも、その子の障害の程度や状態によって支給されないこともあると聞いていたのですが、息子の場合、無事に申請が通りました。
今、息子は10歳ですが、この特別児童扶養手当があって本当に良かったと感じています。
なぜなら、息子は現在登校拒否中で、私が働きに出られないからです。
通常、10歳くらいなら一人で留守番ができる年齢ですが、息子の場合、恐怖心が強く一人でいることができません。
常に息子に寄り添っていなければいけない状況で、経済的な支援はとても有難いものです。
子供に発達障害の疑いがあっても、障害を認めたくないから検査を受けさせないという親御さんも中にはいらっしゃいます。
ですが、特別児童扶養手当は医師の診断はもちろんのこと、親御さんが認めて申請しなければ、支給されません。
まずは、親御さんがきちんと現実を受け止めることが大切だと思います。
登校拒否中の発達障害の息子は、小学1年生レベルの学力もありません。
家では、少しずつ勉強を教えています。
思いやりが育ちにくいとされる自閉症児ですが、小さい子を可愛がる優しさを持ち合わせています。
健常児の親御さんから見たらとても笑える状況ではないと思いますが、それでも私たちは毎日笑顔で過ごしています。
将来に不安がないわけではないですが、できることから少しずつ進めて行こうと思っています。
私の息子は3才で発達障害(自閉症スペクトラム)との診断を受けました。
その際に申請することを勧められたのが、療育手帳と特別児童扶養手当です。
3才になっても言葉を話さない息子が、発達障害(自閉症スペクトラム)と診断された際には「ああ、やっぱり」という気持ちでした。
しかし、「療育手帳」「特別児童扶養手当」という単語は初耳でした。
市役所で聞いたところ、療育手帳というのは知的障害のある人が福祉サービスを受けやすくするために交付される手帳とのこと。
特別児童扶養手当というのは、精神または身体に障害をもつ20才未満の児童を家庭で養育する父母等に、国から支給されるものとのことでした。
医師から療育手帳や特別児童扶養手当の申請してみるように言われたものの、私達夫婦はなかなか動けませんでした。
まだ言葉の話せないわが子が、発達障害というのはやはりすぐに受け入れることができず、療育手帳を取ったり特別な手当をもらったりすることは、わが子に障害児というレッテルを親自らが貼りつけるような気がして、抵抗があったのです。
それからしばらく、療育手帳と特別児童扶養手当のことは封印していました。
息子は幼稚園に通いながら自治体の療育教室にも通っていたのですが、そこで息子と同じような発達障害を持つ子のお母さんから、特別児童扶養手当を受給しているという話を聞きました。
発達障害を持つ子供のお母さんは、日常的に家庭で子供のケアが必要なため、思うように外へ出て働くことができません。
しかし、そうした子供は療育教室などに通ったり、発達検査、言語療法や作業療法などを受けるため通院費用もかかります。
特別児童扶養手当は通院費用等に充てられること、また自分が働けない上に発達障害をもつ子供のケアに疲弊している現状で、そうした手当を受けられることは、心の慰みになると聞き、なるほど!と共感したのです。
息子は幼稚園に通っている間に徐々に発達指数が上がり、知的障害という区分からは外れたため、療育手帳は対象外になりました。
特別児童扶養手当については、再度発達検査を受けて主治医に所定の診断書を書いてもらい、市役所へ申請して受給が認定されました。
通常2年で更新時期がくるので、そのたびに発達検査を受けて主治医から診断書をもらい、更新の申請をします。
更新時期がきて診断書を提出し、受給の決定が通知されると、嬉しいような悲しいような複雑な気分を毎回味わいます。
小学生になった息子は、主治医から定期的な診察を受け、民間の放課後デイサービスなどにも通っています。
その通院やデイサービス利用などにかかる費用を頂いた特別児童扶養手当から出させてもらっています。
発達障害の子供を育てるには、普通の子供の何倍もの労力と精神力が必要ですが、その分、行政や医療機関、学校の先生方、療育教室などのサポートを手厚く受けていることも強く実感しています。
周りの人達に感謝の日々です。
小学5年生の我が娘は、広汎性発達障害にADHDと運動発達遅滞が併発しています。
知的障害はなく、公立小学校の普通級に通っていて、精神障害者手帳は持っていますが、療育手帳は持っていません。
特別児童扶養手当のことを知ったのは、2016年のこと。
娘の定期診察のときにかかりつけの児童精神科の医師から「診断書、書きましょうか?」と言われました。
それまで私は、特別児童扶養手当を知りませんでした。
子供の世話でなかなか定職につけずにいた私は、金銭面にずっと不安を抱えていたため、もらえるものならもらおうと、診断書作成をお願いしたのです。
改めて診察の予約を取り、後日私1人で病院に向かいました。
そして、以下のような日々の困りごとを30分かけて医師に全て話し、診断書をまとめてもらいました。
娘は運動発達遅滞で手先が不器用なため、身だしなみを整えるのにも常に手助けが必要です。
歯磨きも毎日朝と晩の2回、私が仕上げ磨きをします。
その他、爪切りや、毎日の洗髪も私の介助が欠かせません。
言語障害もあり、特に初めての場所ではどもりがひどくなるので、1人で行けるのは徒歩5分の公園くらいで、どこに行くのでも大抵は私が付き添います。
状況判断の力が弱い娘は、歩いて遠くに行くことを怖がるため、徒歩10分以上かかる場所へ行くときは私の送迎が必要です。
徒歩30分かかる小学校へは、私が毎日付き添って登下校しています。
忙しいときは車を使いますが、体力をつけてほしいので基本的に徒歩です。
学校の授業では手を挙げて積極的に発表するものの、休憩時間などはほとんど口を開いていないそうです。
1~2週間に1度は、学校の担任の先生から電話があります。
ADHDの症状からくる注意散漫のせいなのか忘れ物、落とし物がひどい娘。
「教科書をなくした」
「重要なプリントの返信がない」
「給食のエプロンを持ち帰っていない」
など、その度に学校から連絡が来ます。
夕方自宅の電話が鳴る度、「また学校からかな」と気持ちが重くなります。
数日後、病院から届いた「特別児童扶養手当認定診断書」と、戸籍謄本など各種書類を揃え、市の保健福祉課まで申請に行きました。
そして、特別児童扶養手当2級を受給することができました。
特別児童扶養手当の申請を受理してもらえるかどうかは、都道府県によって差があると言われます。
発達障害児の世話でなかなか働く時間が取れない我が家は、特別児童扶養手当のおかげでとても助かっています。
特別児童扶養手当は申請までに時間も手間もかかりますが、発達障害の子育てしている親御さん方は、受給対象になるか一度調べてみるといいでしょう。
特別児童扶養手当には、経済的に本当に助けられています。